ピアノ教室では教えないクラシック音楽の有名な作曲家の裏話 モーツァルト編
ピアノ教室では教えないクラシック音楽の作曲家 モーツァルトの裏話とは?
「クラシック音楽」と聞くと、すぐに、「私はクラシック音楽は苦手・・・」と
敬遠する人がいるようですが、ピアノ教室や学校の音楽の授業でも教えてくれないような
おもしろいお話をお教えします!
今回はモーツアルトについてのお話です。
今年は、モーツァルト生誕250年にあたって、いろいろな催しが開かれていますし、
ここ数年のモーツァルト・ブームでそのエピソードもたくさん取り上げられています。
知っている話もあるかとは思いますが、いくつかご紹介します。
モーツアルトは、35年10ヶ月の生涯で600曲以上を作曲していますが、数え方によって
580から800と相当なバラつきがあります。
モーツァルトの作品は植物学者のルードヴィヒ・フォン・ケッヘルが分類した作曲順の目録で
ある「ケッヘル番号(K+数字)」が使われます。
モーツァルト自身は1784年(28歳)以降に自作の作品目録をつけていますが、それ以前
の作品や、作品目録に載っていない作品には作曲の時期がはっきりしないものもあるそうです。
ケッヘル番号がつけられたのは626で、他人の書いた作品や偽作、断片、途中から別の曲
に流用されたものなどがあって、作品数を確定できないのだそうです。
モーツァルトは「天才」といわれていますが、最初の作曲をしたのが5歳のときでした。
オペラの作曲が一流音楽家の証明だとされた当時、ヘンデルは20歳、ヴェルディとプッチーニ
が26歳、ロッシーニは28歳で作曲または初演を行っているときに、モーツァルトは
12歳で「ラ・フィンタ・センプリーチェ」を作曲し、上演しています。
また、14歳のときには、門外不出の秘曲「ミゼレーレ」を1度聴いただけで暗譜で書き
とめた、という話も残されています。
26歳で父の反対を押し切って、「魔弾の射手」の作曲家ウェーバーの従姉コンスタンツェ
と結婚し、6人の子を儲けていますが成人したのは2人だけでした。
28歳であの「フリーメーソン」に入会しており、以後その思想に影響を受けたとみられて
います。
モーツァルトは、肖像画や銅像では、いずれも「神童」に相応しい顔をしていますが、
諸説があります。
「11歳のときに、患った天然痘のあとがいくつもあって、丸顔で近眼」という説もある
そうです。本当の顔の手がかりになるデスマスクは妻のコンスタンツェがうっかり
落として割ってしまったらしいです。
体型に関しても、小男で肥満が著しかったという説もあるそうです。(肖像画からは
創造もつかないですね・・・)
また、私生活では、ボウリングやビリヤードを好み、賭博もよくしたといいます。
高価な衣装を好み、立派な住居を求めて何度も引越しをしています。
モーツァルトの晩年の借金の原因として、浪費とギャンブラー説をあげる人もいますが、
確かなことはわからないそうです。
今回はこのくらいにします。
モーツァルトの死と死因、墓については興味あるエピソードが残されていますので、この
ことについては、次回ご紹介します。